鬼婆の思い出
★鬼に金棒ならぬ、布団たたきをもつ
怖かった鬼婆のイメージ
心理学を大学で専攻して、ヨーロッパに住んで、体罰が現在の先進国の考え方では、いかに意味をなさず、いかにいけないものであるかは、実感した。
でも、私の育った時代の日本の母は、そんなことは考えもしなかったのだろう。
それでも、体罰として最も害の少ないお尻をたたくことが、母の体罰だった。
しかも、本当に母親を怒らせたときは、恐怖の布団たたきが出現する。
小柄な母が鬼と化し、布団たたきを片手に追いかけてくる。
これが、結構な迫力だった。
「鬼婆がきたー!」
と半分は面白がって、でも自分が悪いので罪悪感もあり、そしてやっぱり怖くて逃げまわった、幼少の記憶。
子供の頃は、割と悪かった私は、ピアノの先生が来る時間を見計らって、友達と約束して遊びに行ったりした。
「友達がいるのでさすがの母も、鬼と化さないだろう」
と浅はかに考えていた。
そして、それはやっぱり甘かった。
金棒ならぬ、テニスラケットほどの布団たたきを片手に、追いかけてくる母の様子に、友達も驚いた。
さぼる自分が悪いとは思いつつも、友達がきても鬼を化す母は、幼心にやはり鬼のように怖かった。
★日本の今と体罰問題
私の子どもの頃は時代背景を考えて、体罰が新参先進国の日本だったので、まだまかり通っていた時代なので、母のした体罰も仕方がなかったと考える。
ただ今、先進国で大学で学んだ私は、体罰の害について熟知しているので、決して、心を鬼にしても、体罰は我が家では振るわないし、振るわせない。
幸いに日本人ながら理解ある夫も、体罰は今の時代にそぐわないものなので、決して振るわずに、ちゃんと子供には言い聞かせて子育てをしてくれているので、ありがたく感謝する。
今、我が子が割と優しい子供に育ってくれたのも、そのおかげでもあると思う。
★ヨーロピアンには理解不能の日本人の体罰
ロンドンのスーパーで時折、日本人の母親が駄々をこねる子供に、パチンとぶったりと体罰をくらわす親の姿を多々、目にした。
これには、英国人も唖然として、避難の的だった。
同じ日本人として、私も英国人の友人に
「なぜ日本人は体罰を子供に振るうのか?言って聞かせないのか?」
と問われて、恥ずかしながら
「昔の日本の風習を引きずる人もいるからだ」
と回答した。
実際に、移民も多いヨーロッパでは体罰を振るう人はいるが、大半が発展途上国の人々だ。
先進国で育った日本人なら、言葉で言い聞かせ、何かしらの解決方法を見出してほしく思い、とても残念に思った。
子供には、たとえ小さくてもきちんと理解できて、学ぶ能力があるのだから、それを信じて何百回でも間違ったことをした子供には、言い聞かせる必要がある。
それが教育というもので、親の役目だと私は信じる。
心理学を勉強すると子供の能力を無能と考えず、根気よく説明すれば理解できる能力を子供も持っていて、それを活かすことがいかに大事かが分かる。
そういう理由から、いかなることがあっても、私は体罰には反対だ。
ゼロ歳児から、その能力を信じて、くどいほどに説明して理解させる。
楽な道を選んで一発の体罰ですませるより、根気はいるがロジカルに説明することで、子供も合理性を追求できる人間に、成長する。
大学で心理学を勉強して本当に良かったと感謝する。
その一方で、その時代の日本の子育てに真剣に向き合い、鬼婆のように怖かったけど、愛情を持って育ててくれた母親には、心底感謝する。
なぜなら、ぶってしまったその後に、
「痛かったね」
とせつなげに言う母の気持ちが理解でき、ちゃんと母の愛情が伝わってきたから…
鬼で思い浮かぶ小さな鬼婆だった母が、やけに小さく感じる昨今。
みんな子育てには一生懸命だから、現在の日本の子育て世代の母親も大変ではあると思う。
でも、ダメなものはダメとしっかりと言い聞かせて、何度でも同じことを言っても体罰は振るわずに、根気よく育てて欲しい。
イギリスの両親は、くどいほどに子供に言い聞かせる姿をよく目にした。それはとても良いことであると、実感した。
日本の将来を背負う子供たちが、世界に通用する合理性を身に付けるはじめのスタート地点だから、言葉で理解させてほしい。
ちなみに、ヨーロッパでも先導国のドイツ人の子育ては、とても厳しい。
体罰ではなくしっかり頭で理解して教え込む、親の根気比べのような教育だが、それが合理的で生産性のある人間の形成につながる。
日本の親達も、グローバルな人間に育てるために、子育てはがんばって欲しい!
#今週のお題は「鬼」
- 価格: 1306 円
- 楽天で詳細を見る